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衆議院議員 いなつ久 (稲津 久) ホーム > プロフィール

いなつ久
プロフィール

いなつ久

稲津 久 いなつひさし

1958年北海道芦別市生まれ。
病院事務長、北海道議会議員(3期)を経て衆議院議員(4期)。
厚生労働副大臣、農林水産大臣政務官などを歴任。

経 歴

昭和33年 2月
芦別市出身 62歳
昭和57年 3月
専修大学商学部卒業
平成 4年 4月
医療法人仁恵会芦別精療院事務長
平成11年 4月
北海道議選初当選(3期10年)
平成21年 8月
衆院選(比例北海道ブロック)初当選
平成23年10月~平成24年11月
青少年問題に関する特別委員会委員長
平成24年12月
衆院選(小選挙区・北海道10区)
2期目当選
平成24年12月~平成25年9月
農林水産大臣政務官
平成26年12月
衆院選(小選挙区・北海道10区)
3期目当選
平成29年10月
衆院選(小選挙区・北海道10区)
4期目当選
平成29年11月~平成30年10月
衆議院経済産業委員長
令和元年9月~令和2年9月
厚生労働副大臣

現役職

党役職
幹事長代理、中央幹事、北海道本部代表、農林水産部会長
議会役職
衆議院農林水産委員会理事

プロフィール

家族構成
妻と二女一男、母の6人家族
好きな動物
特に猫が大好き!
好きな食べ物
麺類(特にそば)、おにぎり、サンドイッチ、ふのり
特  技
5分の仮眠で元気いっぱいになれる
髪  型
強風でも崩れないほどハードにセット!
得意料理
味噌汁(議員宿舎でも自炊する)、カレーライス
趣  味
ウォーキング、山登り、読書(愛読書は「上杉鷹山」)
座右の銘(信条)
「民、信なくば立たず」(孔子)
(政治は、民衆の信頼がなければ一日たりとも持たないとの意味)

History
いなつ久物語

いなつ久誕生 ~人間形成の原点

いなつ久は昭和33年2月、炭鉱のまち・芦別市に生まれました。 納豆の製造・販売業を営む両親のもと、4人きょうだいの次男として育ちました。
両親は樺太からの引揚者。戦争の辛い記憶を語ることはありませんが、どんな厳しい状況の中でも自らの信念を貫き通す両親の姿は、その後のいなつ久の人間形成の原点になっています。
芦別高校を卒業後、専修大学に進学。多くの良き友人に恵まれ、青春時代を過ごしました。

就職 ~社会人として地域のために

 大学卒業後は「ふるさと・芦別」に戻り、特別養護老人ホームに就職。地域医療の発展のため事務員として10年間懸命に働きました。
 その後、医療法人芦別精療院(病院)に勤務。誠実な人柄と献身的な姿が評価され、34才の若さで事務長と理事に大抜擢されました。
 いなつ久は、真剣に地域医療の問題に向き合いました。特に深刻な問題だったのは、医師不足。地域医療の充実をめざし、自らの足で積極的に医師をスカウトしました。
 その熱意が実り、10人近くの医師を招聘。さらに、過酷な勤務条件下で働く看護師のために、道庁に何度もかけあい、看護師専用の宿舎を建設しました。その結果、この地に医療・福祉・介護の一大拠点を作り上げることができたのです。
 いなつ久は20年にわたり、医療・福祉・介護の現場で、一社会人として地域のために尽力しました。

政治の道へ ~皆の心を胸に!

 平成11年、いなつ久に、ふるさとである空知地域で道議会議員として出馬してほしいという声が上がりました。
 「道議会議員に出馬を!」。熱心な要望があったものの、いなつ久は病院事務長として病院改革に心血を注いでいる真っ只中でした。
 そこでいなつ久は、最も厳しく指導・教育してくれた病院長・中野重雄理事長(故人)に胸のうちを相談しました。すると理事長は「嬉しい話じゃないか。この地域のために一緒に歩きたいな。でも80歳を超えたこの体じゃな」といなつ久の背中を押し、さらに「いつも俺と一緒だぞ」との想いを託して、一足の革靴をプレゼントしてくれたのです。
 いなつ久は、ふるさとの皆さまの心を胸に走り出しました。
 平成11年4月、道議会に初挑戦。そしてトップ当選したのです。
「地元・芦別」では、なんと投票者の6割以上がいなつ久を支援。思わず感謝の涙があふれました。
 あの思い出の大切な革靴も、すでにすり減っていました。
 あれから道議会議員3期10年、衆議院議員2年半。
いなつ久が走り抜いた距離は「地球13周半」分にもなっていたのです。

道議会議員時代 その1 ~産炭地域の自治体財政を救う!

 当時、空知の産炭地域は、炭鉱閉山後の財政悪化に苦しんでいました。
人口は減り続け、町の財政は圧迫。進むべき道を失った各市町は「空知産炭地域総合発展基金」を元に地方債を発行したのです。しかし適切な手続きをとらなかったため、国と道から一括返還要求を受けることになってしまいました。
 その影響により夕張市は財政再建団体に指定され、夕張問題からの連鎖破綻の危機に悩んだ自治体関係者から、いなつ久は相談を受けました。
頭を抱える首長を前に「自分に何ができるのか。政治家としてどう応援できるのか」と、いなつ久は共に悩みました。
 「破綻していちばん影響を受けるのは地元の方々の生活のためにも行政を守らなければ! 地元の方々を犠牲にすることはできない」と奔走し、絶対に連鎖破綻をさせないという決意を胸に、各市町財政状況を調べ尽くしました。
 さらに、道庁・総務省・経産省へも出向き、直談判を重ねました。その結果、もともと産炭地のためにあった基金の弾力的な運用に道を開いたのです。
 いなつ久は5市1町の窮地を救いました。

道議会議員時代 その2 ~困っている人はほっとけない!

 ある日、米農家を訪れたいなつ久。「おいしい米を作っても売れないんだわ。何とか力になってもらえないだろうか」。この言葉で動きました。
 当時、北海道米の道内食率は38%程度しかありませんでした。品種改良を重ねておいしくなったものの、食べ慣れている本州米から切り替えず、道産米を食べない道民がほとんどでした。
 「このおいしさをもっとPRしていこう!」
いなつ久が始めた「米チェン」運動。米農家の人たちと一緒に、道産米と本州米の食べ比べ「道産米を食べよう会」を全道各地で実施。道産米のおいしさをアピールすることで「米チェン」運動は大きな広がりを見せ、平成22年には道内食率は82%まで上昇しました。
 農家の情熱と、消費者のおいしいお米を食べたいという思いを、いなつ久が見事につなぎ合わせたのです。

国会議員として 1 ~新たなチャレンジを開始!

 平成21年8月、いなつ久は衆議院議員に初当選。国政の場で新たなチャレンジをスタートしました。

国会議員として 2 ~「3.11」の被災者のために走る!

 東日本大震災が起きた平成23年3月11日、いなつ久は東京の衆議院議員会館にいました。
 翌日、道内でも被害の大きかった十勝・釧路地域に急行し、壊滅状態の漁港を目の当たりにします。
 いなつ久は、党農林水産業対策チーム座長として奔走。農林水産業、加工業の復旧、市場や流通の再開・継続のため、第3次補正予算に約7,400億円を盛り込み、被災地支援に尽力しました。

国会議員として 3 ~忘れられない言葉がある

 いなつ久には、忘れられない言葉があります。
 それは、東日本大震災の被災地に駆けつけたときのことです。
被災者から「この災害で5つの被害を受けたんだ!」と怒声が上がりました。「地震、津波、原発、風評被害、そして、政治家の被害だ! 今の政治は対応が遅すぎる!」と。
 「政治家の被害」――生涯忘れてはならない言葉として胸に刻みました。
 政治は、国民を守るためにある――。この言葉は、いなつ久の原動力となっています。
信頼される政治を取り戻すために、いなつ久は真摯に一途に挑戦し続けます。